身近な死の回向
先日、仕事中に高校2年の次女から電話があり、「数珠はあるか」と聞かれたので何に使うのか聴き返すと、同級生の通夜に参列するのだと云う。母に借りるよう指示し、帰宅後にその詳細を尋ねた。曰く、昨年同じクラスだった友人が登校できなくなり、その後は音信不通で経緯はわからないが、亡くなったという連絡が入り豊橋まで弔問に行くのだ、と。同じ親の立場から、ご両親もさぞ苦しまれたであろうと憂いつつ、いち僧侶として彼女には、お棺の中の顔に向き合い、難しいかも知れないけれど一言、先に命を終えた友達に何か声を掛け、その後に親御さんに自分との関係を含め、短く挨拶をしてきなさいと伝えた。娘は未だ人の死に直面した経験がなかったため、「普通に生きているけど人間は必ず、本当に死んでゆく」ということを、「命が死ぬのは当たり前」と頭の知識で理解するのでなく、身を以て教えてもらうことが大切な事なのだと付け加えた。
振り返れば京都の大谷高校に通った頃、私も二度の死別を経験した。一人は自転車で通学中にトラックに轢かれ急逝した同級生で、葬儀の帰途に仲の良かった友人がその不条理に「なんでや」と繰り返し悲嘆していた姿が想い起こされる。もう一人は和氣先生という、世話になった国語教師である。彼は授業を放り出し、映画『火垂るの墓』を生徒に観させ、目に涙を溜めながら平和の尊さを懇々と諭してくれもした。当時私の素行が悪く、職員会議でも問題となり特待生の資格は剥奪、尚も繰り返し謹慎処分となった際も、担任ではないが常に私の味方をしてくれた。結局、他の教師の悪印象は変わらず卒業まで叱責ばかり頂戴したが、彼のみは孤高に「君はきっと大物となる」と信じ続けてくれたのだ。50の齢まで生きたが、「四面楚歌の人を信じる」ことの大切さを実践し教示してくれた恩師であった。この2人の死は、間違いなく、今の私をお育ていただいた因であろう。
さてしも通夜当日、事務を終えた私は、前日からの寝不足の身体に鞭打ち、スーパーで特売のピーマンと青菜を買い出し、甘めの魯肉飯のおかずと厚揚げの煮浸しを作り、食後は皿も洗わず二女の帰宅より先に床に着いた。翌朝、寺の法務前に朝食のアボカドサンドイッチを拵えると、着座した娘から前夜の話を聞かされた。式中には、生まれた頃から幼少期、高校時代までの映像が流され、中学までは顔も丸く健康的な様子であったが、マスク姿が目立つコロナ流行の時期から精神を病んだ軌跡を知った。拒食の症状があった為、痩せた遺体の首は極端に細く、顔の頬の内側には綿を詰め、白く死化粧もされていたが、三度も見返すほどに驚いた。案の定、ショックで故人に掛ける言葉が見つからず、だが初めて見た瓜二つの姉の隣の両親に、しっかり挨拶して帰って来たそうだ。私は娘の頑張りを褒め、もし私が先に逝けば同様に、やはり死に顔は選べないのだと教えた。そして、今もいのちを生きることの意味に迷いながら歩む娘に、父親でも縁なく授けることのなかった、大事な出遇いを与えてくれた故人に私は心中、手を合わせ合掌した。
先に亡くなった人が私達に遺してくれることは多く、また深い。その最たるは仏法、仏さまの教えを聴聞するご縁である。一般的には恩として、腹を痛め産んでくれた、大変世話になった、或いは財産を残してくれた、優しく接してくれた、また故人の生き方や価値観に至るまで様々にあるが、確かに重要な具体的事象ではある。だがそれらは、生きることに直結する、更に言えば常に変わらず根底から私を支えるものでない。どれほどの恩を受けても、挫折や別れ、苦しい時、悲しい時、どうにもならない時、解決や改善する方法がないとき、私達は行き詰まり「こんなはずでなかった」と心折れ、「ああなったら良いのに」などと愚痴を繰り返す。自分の人生を耐え忍ぶ価値が揺らぎ、掛け替えのない「いま生きている」瞬間を「ずっと苦しいなら意味がない」と見捨てよう。2500年前に生きたブッダ釈尊は、いのちを見つめ、その煩悩と自我をして、人間は大事を見失う存在だと目覚められたのであった。
願い通りの調子の良い時に、天上界から世界を見下ろす眼には見落としが多いが、底辺からの景色には真実味がある。病気になって初めて、当たり前にしていた健康の有り難さを知る。地獄に突き落とされ、追い求めた金も趣味もグルメも人生の助けにならないと実感する。経験上、苦しい時にこそ傲慢が崩れ、身近な人の存在の大切さ、またその言葉が身に染みる。人は皆「自利」で生きており、無意識に自己のみの都合に立つが、しかし本当は常に様々な人に支えられて在る私だ。支えられるとは、声を聞いてくれる、ただ其処にいる、私を呼んでくれる、それだけでいい。だからこそ関係性を超え、私達がまま「利他」の存在に転ぜられ得るのだと、幾度の苦境から教えられてきたように思う。
死について、報道を眺め子供を含め何千人死にましたとスマホ片手に聞き流すのと、共に時を過ごした一人の現前たる死に向き合うのは、その意味が違う。我々大人ですら、愛する人を失い初めて、代わる者が無いことに気付かされる。若者が死に向き合い、もう二度と生きて会うことの無い今生の別れの厳粛さ、生まれた時から自分の選択が及ばず志半ばで終える命の意味、これから何度も経験するであろう死別と必ず迎える自らの死という、身の事実を受け止めること。誰もが「生死一如」、これこそ真剣に自分の命を全うする根幹なのだ。けれども必ずまた忘れ、「とりあえずは」という生き方に埋没し、感動も感謝も見失う私達の無明に、本堂や仏壇という照らされる場が継承されてきた。その最も重大な確かめとして今年も報恩講が勤まるのであろう。
[文章 若院]
欄外の言葉
自己責任という言葉が身と心を切り刻む 海法龍
有限存在である我々が無限に超越できる 本多弘之
≪報恩講≫
今年も宗祖親鸞聖人の御正忌報恩講をお迎えさせていただきます。お念仏のみ教えに遇い、生きる拠り所を問い尋ねるご縁を大切にして、親鸞さまの遺徳を偲びます。
① 22、23日の報恩講のお斎には、銀杏ご飯を用意いたします。お昼に会館で、お斎の席でお召し上がりください。また両日ともパック詰めも用意しますが、お渡しできるのが午前9時頃となりますので、お持ち帰りの方については、ご理解下さいますようお願いします。
② 仏花は、池坊流で仕立てるのが基本。春夏秋冬、四季折々の材を用いて構成するが、報恩講の仏花は格調高く「松仕立て」が一番であろう。しかしこの松には例年、戸惑うことが多い。準備前から思案させられる。
③ 最も大切な仏事であるため、卓・香炉・仏飯・内敷・蝋燭・お香など、この行事にあたってのみの什物を入れ替え並べます。
※荼毘に附された「お骨」は、墓に納める大きくて四角い箱と、本山=東本願寺に収める小さい六角形の紙箱の2種類がある。本年に寺で預かった「歯骨」は、親鸞聖人の本廟にお届けします。ご命日の11月28日に、この日は海外からの門徒さんが見受けられ、英語圏の方々の接待・案内役として、毎年前日から上洛するのが若院です。28日には、本山・参拝部にて収骨手続きを代行します。
[住職]
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