台南のご本尊 (書き下ろし版)
コロナ禍の数年は海外へ赴くご縁がなかったが、ほとんど休みもなく事務仕事を続けてきたが、築50年を経た保育園の園舎建て替えの建設事業の進捗も落ち着き、そろそろかと思いっ立った頃にはドル高で、家族5人での古巣ハワイや欧米への旅行など高嶺の花となっていた。ニュースでも取り上げられているが、地下鉄が3000円、サンドイッチが3000円、ラーメン一杯5000円もするニューヨークで家族旅行など考えただけでも恐ろしい。さりとて物価の安い東南アジアなら、といってもアジア全域で日本の物価より安い国など無くなりつつある現状でタイはどうかと考えた。
前回、コロナ蔓延の直前に、家族でオーストラリアへ旅行し、タイ航空であったためその帰りにストップオーバーで一泊し、屋台飯でパッタイを食べたりタイ式の按摩を楽しんだ娘達も、喜んで賛同してくれるかと思いきや「パパと行く汚い国の危なげな旅は嫌だ」というので選択肢が限られた。タイがだめなら個人的に一緒に行きたいと思っていたラオスやミャンマーも問題外となり、結局のところ親日で安全な台湾に行くことになった。
早速、問題になったのが妻の飛行機恐怖症であった。長年、離着陸のときには隣で手を握り、震えている姿も知っているので「信頼できない中国系の航空会社など絶対に嫌だ」と言うが、今頃は以前とは発展度合いも異なる。正月早々に日本航空の飛行機炎上事故もあったり、ダイハツの不正問題が取り沙汰されたりと、日本製やサービスに対する絶対的な信頼も地に落ち始めている。いずれにせよ、倍以上もする日系の航空会社の航空券は高額すぎて、逆に台湾は昔からPC製造などの分野にも強いIT大国であり、中華航空(チャイナエアライン)は中国でなく、その台湾随一の航空会社だと、半ば強引に説得し5人分の格安チケットを購入した。
台湾など近いので何時でも行ける、年をとってからでも簡単に旅行できるとして、これまでご縁がなかったのだが、以前から、台湾へ旅行した人々から台湾は南方が素敵だと聞いており、もし私が一人で台湾へ旅するなら到着してそのまま台南へ移動し、帰り際に台北を覗く程度かと長年考えてきたため、家族にも台南に付き合ってもらうことにした。
航空券を確保したら次は宿である。一人旅なら、移動した先の地で探しながら自由に旅行するも良いが、キャリーケース持ちの娘達と一緒では難しい。いつもお世話になっている「トラベルコちゃん」のサイトで探すも、欧米だけでなく円安の影響で悲しきかな、予算の許す範囲で探してもカプセルホテルばかりが検索されてくる。1人5000円程度で泊まれる日本のスーパーホテルのような宿を考えていたのだが、どこにもない。仕方がないので3流ホステルの家族ルーム、つまり広めの部屋に我々夫婦と娘3人が寝ることができる、簡易な2段ベッドが3つ、備え付けられた部屋や、1泊くらいはと家族には比較的まともなホテルのツインルームを2部屋予約し、私のみは風呂と便所が共同の、窓すらない2畳間の部屋で間に合わせ、3月末の旅程の宿を予約していった。
出発前には残念ながら、連日の雨や曇りの予報がでていたが、行ってみれば何のことはない、幸いにも現地での天気には大変恵まれた旅行となった。出発の数日前に、航空券となるEチケットを印刷しようとすると、長女と二女のチケットがネット上で発券されていないことが発覚した。毎度のことだが、この2人は米国籍を持ち、フランス語で名前をつけたミドルネームの表記方法で、旅行の事務手続きが煩雑となるのだが、今回は私の方で、ハッカーのように、添付されクリックしたインターネットアドレスを私のものと比較し、自分自身で勝手に書き換えプリントアウトし事なきを得た。
なるべく荷物を少なく、といっても化粧道具やドライヤーなども娘達にとっては必須アイテムで、中型キャリーケース一つは妻と3女、長女と二女はそれぞれ小型のキャリーケースで行くこととなった。階段の上り下り、石畳の歩行などの観点からもリュックが一番だと私は思うが、そこは家族旅行なので、自分の荷物は自分で持つようにだけ伝えた。

台北西門到着 士林夜市へ
台湾へ行くのは私自身も初めてなのだが、空港に到着してすぐにチャージ式の交通系ICカード「悠遊カード」を5人分購入し、普通列車で台北駅へと移動した。すると台北全土には色分けされた鉄道網が張り巡らされ、丁寧な日本語表記や日本語放送まであり、移動するに難しい事は何もない。流石の親日国、道行く車は新しい日本車で埋め尽くされている。コンビニもドン・キホーテも、牛丼屋も、何から何まで日本式である。
空港から西門駅まで地下鉄で行くが、南国らしい酷暑の中、通りにでてまずはチェックインするため宿を探すが見つからない。西門のエリアは、日本でいう渋谷のような、若者の集まる賑やかな所で、そのスクランブル交差点ともいうべき駅前に目的の宿があるはずなのだが、うろうろと探せど見つからなかった。結局、靴下屋とカバン屋の間の細い通路を抜けた奥にある薄暗いエレベーターの扉に、A4のコピー用紙にプリントアウトされた案内用紙がセロハンテープで貼ってあるだけで、その雑居ビルの13階にフロントがあると書かれていた。看板すらなく、これだから安宿は、といっても時はすでに遅しであった。
13階へ行ってみると、フロントデスクが設置されておらず、ただの廊下と各部屋のドアがあるだけで従業員が見当たらない。たばこの自動販売機程度の大きさの機械が1台あるだけで、チェックインしようにも午後3時以降しか受け付けず、荷物も預けられないため無駄に待つことになった。11階にあてがわれた部屋はまあまあか、シャワーとトイレが付いた30平米ほどの部屋にダブルベッドが3つ、この場合は長女と次女が一つ、妻と三女が一つ、私が一つと振り分けた。金庫がないため現金とパスポートは部屋に置いて出掛けられないのは仕方がない。
早速、街に出掛けようとかつての渋谷に似た街を散策するも、日本語で「絶対おいしい、有名店」と看板にあった店の小籠包は不味く、そも私は本場上海で小籠包を食べ尽くしてきたため舌は肥えてしまっているのだが、これは酷かった。ブラブラしながらやることもないので、ゲームセンターに入りクレーンゲームに挑戦する。1回10圓(日本円で50円)なので安いのだが、アームで掴んだ玩具は上昇したのちに奥へ放り投げるあり得ないアクションがプログラムされており、全くといっていいほど一向に捕れる気配もない。歩き疲れて一旦、宿に戻り、夕方には今回の台湾旅行でのハイライトとなるはずであった「士林」の夜市へ家族を連れ出す。
地下鉄で士林へ移動し、駅前からブラブラしながら家族で街を散策する。長女は早速、台湾女子の可愛い服屋で買い物をして、私は腹も減っており食欲を満たす台湾B級グルメの屋台街を目指す。しかしながら人の流れに沿って四方を歩き回り、何があるのか大概把握したところで、さて路上の屋台飯を楽しもうとする頃、妻は「足の裏が痛い」と不機嫌な様子で、二女は理由もわからず「吐きそうだ」と顔色も青白くなり、体調が悪いのか心配だが出先でどうしたものか。末娘も中華圏のソウルフードである「臭豆腐」の匂いに反応し、「臭いし人も多いしもう二度と来たくない」と不満だらけ。確かに臭豆腐は、私が上海に住んでいた頃も同居人が好きでしょっちゅう食べていたが、その私ですら苦手なままであった。
ここぞと思い入った土間の小汚い食堂では意外ににも長女だけが、日本でいうところのまぜそばや野菜炒め、定番の「魯肉飯」など「美味しい」と一緒に食べてくれた。長女はこの魯肉反飯を心底気に入った様子で台湾滞在中に5~6回も各所で繰り返し食べることとなった。だがこの日は、宿に戻り冷房の効いた部屋で、寝ころびながら各自スマホを触ることが最も快適らしい様子で、久々の家族旅行は散々な幕開けとなった。夜も更け私は西門街のバーを探しに、一人寂しく酒を飲みに出掛けた。

食堂の魯肉飯他 西門のバー
2日目は気を取り直して、「隻連」の朝市へ出掛けた。駅前公園脇の屋台街に、すでに警戒して二女も三女も表情が硬い。少々グロテスクな豚の頭など所狭しと吊るされた肉屋の集まる屋台があり、「美味しいよ」などと片言の日本語が上手な明るいおばちゃんから、鶏の足や豚皮の甘辛煮、煮卵など買い、ビニール袋に入れてもらう。公園脇の花壇に腰掛け楊枝で食べるが、これがまた美味い。しかし肉好きの長女しか食べてくれないため、三女は自ら食べたがっていた鶏の唐揚げを買い与え、さらに気分転換に永康街へ移動する。
こちらは台北の下北沢といった小洒落た町で、散策すると素敵なカフェを発見。ベランダから木漏れ日の入る2階席でゆっくりしながら、前日から食事をとっていない二女に洋食ならとアボカドとチキンのサンドイッチを与える。本来、伊勢家では沢山食べるはずであった彼女もやっと生気を取り戻し、全員の機嫌が良くなったことで胸を撫で下ろした。できれば家族5人、全員に二度とない、掛け替えのないこの旅を楽しんで欲しいと私は願っていた。

三女と鶏唐揚げ 気持ちの良いカフェのテラス席
出掛ける前から「何分かかるのか」、食べる前から「どんな味か」と、予定調和を求めてしまうのも日本人特有の一般的な感覚で、決して悪いことでない。便利で清潔、日本の常識、当たり前の価値観、そういったものを超えていくのが旅の醍醐味であろう。だから旅行中は、何が起こるかわからないが、その流れに身を任せ、縁のままに楽しむことが大事なのだと徐々に教えていった。
勿論、観光地を外れると必ず遭遇する「信号のない車道を渡る場面」がある。これは大事なことで、渡ればすぐなのに300メートルも500メートルも先に大廻りしなければならないことが多いアジア全土で、信号のない4車線、5車線の車道の渡り方にはコツがある。基本は「止まらない、走らない、避けない、目を合わす」といったところだが、その詳細はまだまだ深い。初心者は地元民の脇に付くのがほぼ正解だが、これも間違うことがある。地元民でも勘の悪い人が4車線の中央で立ち尽くし危なげなのもよく見かけるか、まずもって中央で止まらないことを心掛けてきた私などは、台湾でも同様であったが、そ自信とオーラから地元民からも付いてこられることが多い。過去にスリランカでは、一緒に渡ったというだけでお互いに理解し合い友達になり、夜が更けるまで飲み明かしたこともあるくらい、「わかっている」ということは実は大切な事なのだ。
カフェのおかげで永康街を気に入った様子の姫達と、更なる街の散策を続ける。台湾人は街路樹や観葉植物が大好きなことがよくわかり、また書店などにも日本の漫画や文房具が並び、日式の浸透具合が微笑ましい。ホテルに戻る前に、地下鉄の待ち時間に路線図を見ていて「善導寺駅」なる駅名を発見し、少しだけ付き合ってもらうい参詣することに。得度している三女には、『正信偈』の「善導独明仏正意」の部分を暗唱し、小気味好い正信偈のリズムと音程の抑揚から「ああ、あそこのことか」と理解したようで、親鸞聖人が善導ひとり仏陀の教えの正しい意味を明らかにしたと讃嘆した、あの善導大師のことだよと伝えておいた。
下調べなどしていないため台湾が仏教国なのかどうかすら知らなかったが、廟類は夜市の中心などにも各所にあり、だが所謂お寺ではなく「太后」や「関羽」など死者を祀る道教、あるいは「孔子」を祀る儒教であったが、見つけた際には合掌し「南無阿弥陀仏」と念仏してきた。教えというものがない神道と同じく、意味のない祈祷や願い事、あるいは先祖崇拝に伴う位牌堂ビジネスでの商業主義が醸し出されており、残念ながら、この善導寺も駅前にビルを建てて、三佛の荘厳にも教化の場というものは感じられなかった。

善導寺の山門 本堂の内陣三佛
宿で休憩したのち、バス停を探し出し夕方にしゅっぱう、インスタ映えする写真を撮影できる「九份」まで赴いた。1時間ほどバスに揺られ、台湾北部の海岸沿いの丘を登ってゆく。バス停で降りると早速、土産物屋が建ち並ぶ観光アーケード街となっている。赤いランタンが連なる風景は、ジブリ映画『千と千尋の神隠し』の舞台に似ていることから、日本人にも人気の高い場所である。土産物屋を覗き、イチゴ飴やシュークリーム、焼いたエリンギ串など食べ歩く。台北の夜市も同じだが、ガイドブック等で紹介されている店は、何が美味いのかわかりようもない観光客で行列となっている。喫茶店に入るも店内も混雑しておりサービスも悪く、眺めも風情も何もないため、ごった返しの観光客を避けるべく、、丘の階段を降りてゆく。
全く人の気配がない路地裏へと進んでゆくと、その先には絶景の庭付きの、素敵な茶屋があった。観光客がいない店内はひっそりとしており、壁面に呈茶の道具が並んでおり、奥の間におられた女将に無料サービスの試飲、といっても丁寧に湯を入れ替えることで温度調節され香り好い煎じたての茶を振る舞われた。美味しいと飲んでいると、続く薄茶や旬となる金木犀茶などいただき、記念に珈琲用のマグカップを買い求め店を出た。九份の帰りには、タクシー代の1500圓(7500円)をケチったため、瑞芳駅から宿までは2時間もかかり、遅くに簡単な夕飯を食べに行った。

ごった返しの観光客 静寂な茶屋のテラス
次の日は高速列車で台南へと移動する予定であった。朝9時にチェックアウトし、台北駅でチケットを購入しようとすると、週末が始まる土曜日であったためか、午後出発で、しかもゆっくりできない午前帰りの列車しか、機械で予約購入できず、前日に買っておけばよかったと大いに後悔した。しかし5人分を購入する途中で機械が故障し、対応してくれた駅員さんがこちらの事情を察し、特別に家族の座席はバラバラとなるが20分後の列車の切符を手配してくれた。急いでホームに駆け付けると、朝ご飯を食べていない家族が「腹減った」と。私一人、小走りで階段を駆け上がり、改札を一度出て弁当売り場で肉丼や菓子パン、水など買い出しに行き、また急いでホームに戻り食事を渡すと、一人違う車両へ乗り込んだ。
台南へと降り立つと、そこは30度超えの、汗が滲み出る酷暑であった。宿までは少し距離があるため、4人乗りのタクシー2台に分かれて移動する。町はごちゃごちゃしており、原付も多く、ホーチミンに似たアジアらしさが感じられる雰囲気であった。
宿に到着すると、我々の部屋は5階だというが、エレベーターがない。チェックインは先延ばしにして、誰もいない1階カフェカウンターの裏側に荷物を置き観光にでた。家族旅行らしい、用水路のマングローブを散策するボートツアーから。25人ほど乗れる板状の平坦なボートで、船尾に付いた小型エンジンを操る船頭が、ガイド役も兼ねるが台湾語では何もわからない。しかし1列目の先頭を陣取った我々は、ギリギリの高さの枝ぶりを頭を屈めて避けるのが大変楽しく、また他のボートとすれ違うのに、外国人のノリの良さに便乗し歓声をあげ楽しんだ。また安平街にあるガジュマルの樹木が浸食した茶屋など、台湾らしい自然を満喫しつつ、宿に戻るとぼちぼち旅慣れてきた娘達も別行動で喫茶店へ行くと言う。私は喜んで千圓(約5000円)渡して送り出し、妻と2人で、地ビールを飲んだり軽食を食べながら近所を散策する。

緑色隊道の船上 浸食したガジュマル
夜にはその外観から、通りかかるたびに「きっと美味いに違いない」雰囲気から狙っていた、交差点角にある「鵝肉屋」へと挑んだ。鵝肉とはガチョウのことだと知ってはいるが、毎度の様に渡された注文用紙は漢字だらけで何を食べて良いのかわからない。家族はスマホの翻訳機能を利用しているが、訳された言葉が意味をなさない。こんなとき、旅人の智慧はこうだ。グループ分けされた一番上のメニュー、つまり店の推しの「看板メニュー」であれば間違いない。この店は午後7時から朝5時までの超人気店であり、歩道上のプラスチックテーブルで額の汗を拭いつつ、極上のガチョウの肉に味噌だれをつけ、コリコリの臓物や炊き立ての油飯を皆で胃に掻きこんだ。

ガチョウ屋の看板メニュー ガチョウの足と小腸

台南の安宿 台南の祭り
その翌日このこと、台湾の沙崙駅から台北に戻る列車に乗車する直前、長女がスマホを亡くしたと言う。振り返ると、この日は朝から急いでパッキングし、地元の祭りで大通りを仮装行列が練り歩き、タクシーを捕まえるのに非常に苦労し、二手に分かれて宿から最寄りの台鐡台南駅まで行くも、沙崙駅までの列車が1時間待ちであるため高速列車に乗り遅れてしまう可能性があり、急遽再度4人乗りのタクシーに頼み込んで1台のトランクに荷物を詰め込み、慌ててこちらの駅まで来ていたのだ。そも宿に忘れたのか、途中で何処かで落としたか、判明しないまま乗車時間が迫って来る。
私の格安スマホならいざ知らず、長女のことだから最新のアイフォンなら15万円ほどするのだろうか、失くしたで済ますには勿体なさすぎる。「我が子には旅をさせよ」の格言通り、多少の英語が話せる彼女に一人だけ残り、安いローカル電車を乗り継ぎ台南駅まで行き、タクシーに乗って宿まで探しに行くかと迫ったが、不安からか「やっぱり諦める」と悲痛な表情をしている。旅行保険で補填はできるかも知れないが、或いはこれまで溜めた写真や音源などはクラウド保存で問題ないのか、私には分かりようもない。母親のスマホで場所を検索するも、肝心な時に検索するための接続が繋がっていないという。
現実的には、予想外に日本円で6万円以上した台北から台南の5人分の往復運賃に、私の手元の現金もあと三千圓(日本円で約1万5千円)と心許ない。仕方がないので「俺が戻る」というと「子供に甘すぎる」という妻の言葉が聞こえたが、それを尻目にバックパックを背負い、彼女たちの現金やパスポート、台北の宿の情報など必要な一式を全て渡し、私一人が戻ることになった。私にとっては、一人旅は苦でも何でもない。
約1時間かけて宿に戻るが、彼女のアイフォンはひっそりとした部屋のどこにもない。前夜には近所のセブンイレブンで色々と買い出し、身内で飲み会をした残りの缶の啤酒が冷蔵庫に残っており、火照った身体が要求するまま「やるべきことは尽くした」と一人喉を潤した。ちなみにビール後進国の日本より、台湾の地ビールは種類も多く味も美味かった。
さてとタクシーで台南駅に戻ることにしたが、片側2車線の大きな国道でも流しのタクシーがつかまらない。酷暑の中、汗滴るままに、50分程片手を上げて待たされたことがきつかった。歩き回りながらやっと、ちょうど車椅子のお年寄りを降車させているタクシーを発見し、声を掛けて乗せてもらう。行先の間違いのないよう「台鐡台南駅」と書いたメモを渡す。冷房も効いており快適なだけで有り難かったのだが、駅の2キロほど手前か、途中で道が違うことに気が付いた。
初めての経験でもなく、台湾では嫌な人には出会ったことがなかったため、一度くらいなら運転手の遠回りも百圓くらいなら許してやろうと寛大な気持ちでいた。しかし駅からは徐々に離れ街並みも寂しくなり、流石に二百五十圓を超えてなおも郊外へ向かう為、「カモン!どうなっているんだ。駅と全然方向が違うじゃないか」と英語で文句を伝えると、「間違えた」という。やっと駅に戻りついた際、メーター六百圓(約3000円)を超えており、前回は同じ距離では百二十圓であったため、交渉始めに相手がどうでるかと思いきや「私の過失なので百圓で良い」と丁寧に謝られてしまった。私はすぐにハッとした。これまで台湾の人々には嫌な思い一つせず歓迎されてきたのに、単純に間違えた運転手のことを身勝手に疑ってしまった自分自身の心の貧しさが大変恥ずかしく、私の方から「半分払う」と折半させてもらった。
台鐡台南駅は地方の比較的大きな駅であったため、特に期待もせず内心諦めてはいたが、間違いなく「今、この時、台南の街のどこかに娘のスマホがあるはずだ」と思い直し、念のため落とし物の確認ができるかと、駅構内の駅長室に寄るも小汚い安スマホはいくつかあったものの最新アイフォンの届はなかった。当然であった。仕方がないので、個別に海外旅行保険も加入はしていなかったが、仮に保険請求するとすれば「落とし物」の証明書を発行してもらう必要があるかも知れないと、台南市の警察署を目指し道を尋ねながら歩いて赴いた。
若干、緊張しながら異国の警察署の玄関をくぐり、ややこしいので複雑な経緯は説明せずに、受付で「私がスマホを落とした」と伝えた。「どんなスマホか」と聞かれたので、「アイフォンだ」と簡潔に伝えると、「本当にお前のスマホか」と疑われ始めた。証拠はあるのか、尋ねられたので、少し前に現物の写真を娘からラインでもらった画面を見せると、唐突に「娘のスマホじゃないのか」と云う。なんと、降車時かわからないが、どこぞのタクシーの運転手が、日本人らしい娘が落としたと丁寧に警察まで届けてくれていたのだ。日本以外で落としたスマホが手元に戻る国があったのかと驚くとともに、複数の書類にサインなど無事に返却してもらうことができた。
ラインで遥か遠くの台北にいる娘に伝えると、私は僧侶であるはずなのに「神」と称され、安堵と迷走ついでに車窓から見えた浄土系の寺へ参詣しようと思い起こす。華奢な山門に『弥陀寺』の扁額があり、ぼったくりタクシーの証拠にと東門路という道路の名前を暗記していた。
タクシーで乗りつけ、私と同じく小汚い格好で掃除をする門番らしい小太りの親父に声を掛けるが、施錠された本堂内には入れてもらえず台湾語で帰れと注意される。仕方なしに荷物を降ろし、数珠すらないが御堂の縁側で合掌し、ムッとした分だけ大きな声で、パーリ語『三帰依』と短いお経である『三誓偈』をお勤めし、寺務所へと寄ってみた。受付にいたボランティアの女史から「バックパッカーか?こんな場所の寺にどう巡り着いたのか?」と聞かれ、また折角だからと書棚から書籍を一つ呉れるというので『浄土五経』を頂戴した。
浄土真宗の伝統では、『浄土三部経』といい、『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』の3つの経典を大切にしてきたが、台湾浄土教のこの経典にはそれらに加えて『大勢至菩薩念仏圓通章』と『普賢菩薩行願品』が加わっていた。
その本の中の観経の物語を知っているかと質問され、勿論だと応え浄土教の信心談義をしていると、境内を案内していただく首尾となった。六ツの香炉へ捧ぐ六本の線香をもらい山門から、脇には先程の門番がおり「ざまあみろ」とは言わないがほくそ笑み通り過ぎる。本堂の荘厳の中央は釈迦の仏像であったが、奥の院には千手千眼観音が、最期に参った二層式本堂の上階に本尊阿弥陀如来が安置されてあり、有り難く仰ぐことができた。

台南全土にある街中念仏看板 弥陀寺山門裏「超然世界」
帰り際、その郊外ではタクシーが全く捕まらず、公車停から市バスに乗るも初めての経験に手間取り、観光地でもないのにグラサン姿にザックを担いだ私に「日本人かしら」と訝し気に囁く女学生の声も聞こえている。次の停車場所でたまたま乗り込んできた、かの門番に再会し笑顔で「啊!你好」などと笑顔で挨拶を交わし、事情を知らない同乗者らには益々と怪しさを醸しだしてしまう私であった。
夜8時過ぎに台北まで戻ると、夜ご飯を食べに出かける途中で、事の顛末を三女に話した。すると彼女が私の旅先での物語を大変羨ましがり、自身も地元の人と交流しながらお土産になる物語を欲しがった。ほぼ丸一日、別行動であったので、そちらはどうであったかと聞くと、電車の隣に太った男性が座って嫌だったとか、スコールのような大雨が降ったとか、色々話してくれた。とても嬉しかったのは中学生の彼女の口から「台湾の人達は優しい、良い人達だ」という言葉だった。これは今回の家族旅行で最も良かった点だと思っている。
ある駅で階段を登る際、若い大学生風の男の子達2人が駆け寄ってきて、キャリーバッグを担いで階段を登ってくれた、またある人には「ウェルカムトゥ台湾」と、喜んで歓迎されたと、彼女たちなりの物語があったようだ。日本人は昔も今も、自分達が清潔でまじめで優れた人種だと、食事も世界一美味しいと、かなり偏った世界の見方をしているが、無論のこと世界中に良い人たちがいる。触れ合って、共に生きることができる。これは次世代にとって最も大切なメッセージだと思っている。
[文章 若院]

台北路地裏の麻醤麺の老舗 豚のレバースープも絶品

台北101 101外観

帰国3日後に発生した花蓮の大地震映像
過去の寺報・清風は
こちらからご覧ください。