寺報 清風





          命と命と相念ず


 5月の中旬、幼馴染でもある地元のツレの命日に、旧友らを誘い彼の自宅のお内仏に手を合わせに行った。寺から歩いて数分の近所で、同じ小学校、中学校に通い、その間には何度か同じクラスとなり、後年の予備校時代にも毎日のようにポケベルで連絡を取り合い、文字通り長い時間を一緒に過ごした。スポーツやテレビゲーム、酒も悪さも共にし、後に別々の人生を歩みながらも折々に親交を重ねた。彼は仲間内では学校の成績は冴えなかったが、昔から足が速く、素直で優しい性格は誰からも愛され、大型のアメ車を乗り回した学生時代のアルバイトも人一倍頑張った。30代で結婚し、実家の隣に立派な木造の家を新築した。しばらくして一男一女の2人の子を授かり、40代には確かヘルニアであったか、腰骨の病気で歩くにも若干不自由な障がいを抱えたが、懸命に働き続けたようだ。名古屋の安居酒屋で偶然行き会った際には、会社の後輩を引き連れ元気な様子も見られた。

 だが或る時、ガンになったと彼の口から伝えられた。その事実に畏れおののき「まだ死にたくない」、「家族も支えなければ」と、眠れない暗い夜が幾度もあったろう。医療が発展したとは云え癌は未だ難病、放射線治療等の選択肢を含め「どうしたら良いのか」と悩み考え抜いたに違いない。結局、彼は胃の大半を切除することにした。駅前の道端で出くわし、私が「調子はどうや」と尋ねると「胃を切り取ったんや」、「大丈夫なんか」、「なんとか生きとるよ」と、去り際に冗談で「また近々飲もうか」と声をかけると「バカ。もう飲めんわ」と返され笑い合った。私の頭の片隅を過った不安が、リンパへの転移として現実となった。しばらくして、同級生の友人から連絡があり「彼が死んだ。葬式がある」と知らされた。葬儀には沢山の人が弔問に訪れた。

 同級生らと一緒に参列した私は、導師に合わせ正信偈を声にだしてお勤めし、その儀式が終了してから、歩み寄ったお棺の中の尊顔を拝んだ。思わず彼の名を呼び「有り難うな」と、もう届かない声をかけた。過去の沢山の思い出を抱えた私だけでなく、無論その家族の悲嘆は痛切であったろう。当時まだ年端もゆかぬ小学生だった子供達、絶望のみならず将来の不安や責任も抱える、最も近くで彼を支えた奥さん。そして親父さん。しかし何故か、最愛の我が子を亡くした母、私からすれば昔から見知ったおばさんの悲痛が自身の胸の内に深く想われ、お悔やみを伝えた際も顔を見ることすらできなかった。後日耳にしたことであるが、故人の新居は実家の仏間を取り壊し敷地とした為、跡取りとして「あとは宜しく頼む」と両親から新しい仏壇を託されたのだが、彼の法名が位牌として最初に安置された。今から3年前、友は46歳でその命を終えていった。

 周知の通り、新型コロナウイルス感染拡大により世界中に激震が走った。時期を同じくして
保育園の園長となった私は、法人運営をはじめ只でさえ慣れない仕事の繁忙に追われつつ、園児と職員を合わせた約200人と、その同居家族の感染状況の把握から対応に右往左往した。マスクが推奨されない乳幼児、そも三密を避けるなど不可能な子供達の保育に、パーテーションや消毒など対策しつつも3度の休園措置も避けられず、毎日が慌ただしく過ぎていった。生活面でもパートで働く妻と協力し、炊事に洗濯掃除、娘達の弁当に送り迎えなど、日々休む暇もなく必死に動き回った。忙しいの「忙」の漢字は、まさに立心偏の心が亡いと書く。コロナ禍の非日常では恰も時間に穴が空いたような感覚もあり、昨年の命日も失念していたため、今年こそは参ると決めていた。

 私服の上に間衣を羽織りお内仏に向き合うと、ふと見た繰り出し位牌の命日欄に「令和4年6月」とあったため、同席してくれたおばさんにその事を尋ねた。愛煙家でもあったご主人が肺ガンで亡くなられたのだと聞き、この事実に私はハッとさせられた。お釈迦さまが悟られた「諸行無常」とは、一つの重大な苦難を乗り越えてなお「愛別離苦」、愛する者との別離の苦しみが続くのであった。私達は、この人生で出遇う、全ての人と必ず死に別れする。順序も寿命も死に様も思い通りにはならない。生きている限り死別があり、その終焉は私自身の死であると、何度も法話で語ってきたこの私が忘れていたのだ。本心を振り返れば、3年前の悲しみも時間が多少なりとも癒してくれているだろう、家族も元気で無事にやっている、「心配しなくてもいい」と今は亡き友に伝えたかった。都合よく、そのことを私が確認し、安心したかったのだ。

 また帰り際には、中学2年になった長男に「マスクを取って顔を見せてよ」と声を掛け、その生き写しの顔がかつての友人の面影の記憶を掘り起こし、私の心の琴線に触れた。父親を亡くしたとはいえ、懐かしい旧友が再び集い、同じ場に家族が肩を寄せ、語り合う。あれから3年分、立派に成長した子供達も居る今ここに、死んだ人間が生き返ることなど無いと僧侶である私が百も承知だが、たった1日だけでも、誰よりも一番この場にいたかったのが亡き友人であろうと感じられた。決して叶うことのない、その願いの深さがまた、本来かけがえのない日々を私がどういただいているのか、身近な人の死から改めて問われたことであった。

 仏教では、いのちは平等であると教えられる。それは私達が付加価値により命を評価する罪悪を照らし出している。よく「あの人は長生きしたから大往生や」、「若く死んで可哀想だ」、「病気や寝たきりなら生きる意味がない」と物差しで比較するが、唯一無二の代わる者の無いいのちである。彼も彼なりに生ききった、過去にも未来にも二度と無い一つの人生であった。誰しも明日死ぬかも知れない同じいのち、将来我が子を失うことが有れば私もおばさんと同じ業縁となる。正信偈の最初は「帰命無量寿如来」から始まる。無量寿に帰れと、そも寿(いのち)とは量れないものなのだと。バラバラで一緒。誰しも生きるということそのものが大変な行であるのに、戦争や差別、分断と諍いの絶えない社会を生きる私達へ、親鸞の出遇われた本願の言葉が呼び覚まし続けている。

[文章 若院]


欄外の言葉

 「死にたくない」と言いながら死ぬ者も平等に受け止める大地がある 佐野明弘

 人間の自我を元にした生きることの意味付けは却って人間を縛る 本多雅人


≪若院の伝道掲示板≫


≪日曜おあさじ講師紹介≫

保々眞量(ほぼしんりょう)師

 熊本県は阿蘇山の麓にある光行寺のご住職で、京都・東本願寺の同朋会館教導をされています。平成28年の熊本地震では、若院が熊本市内のボランティアに赴いた際、訪れた寺の本堂は梁が折れ傾くという甚大な被害を被りましたが、修復も無事に終えられたようです。とても優しい語り口で日常の生活感覚から仏教の教えを語る素敵な先生です。

 聴講は無料です。朝の涼しい時間帯に是非ご一緒に聴聞ください。


≪本堂ライブの告知≫

日時 7月15日(土) 午後4時~5時半
演者 ~NIGA~ Duo Flumen
入場料 1人1000円、当日受付にて。小学生以下は無料です。

 コロナ禍も多少落ち着き、久しぶりに本堂でのコンサートを開催いたします。以前にアフリカ人を引き連れ、新本堂での灼熱のライブを決行した山下正樹さんが来寺し、今度は奥さんのRISA(マリンバ)さんとの2人組ユニットのライブをしていただきます。クラシックとアフリカ音楽を融合させ、独自の世界観を奏でます。


≪前住職祥月法要≫

日時 6月27日(火) 午後3時より
法話 梛野 明仁 師 (西尾市本證寺住職)


≪お盆法要≫ 

日時 8月10日(木) 午前8時・10時
法話 高柳 正裕 師 (回向舎主宰)






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発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳